魁皇の幕内優勝5回は、最高位が大関以下の力士の中では史上1位である。なお優勝を5回も経験すれば、昔なら皆全員横綱に昇進していた(中には照國や北尾(のち双羽黒)など、優勝無しで横綱昇進した力士もいる)。しかし現在の横綱昇進基準では、大関の地位での「連続優勝」が原則となり、魁皇は大関時代に連続優勝を果たせず、不運にも横綱になれていない。
また若嶋津の優勝2回のうち1回は全勝優勝である。最高位大関以下の力士で全勝優勝を達成は、15日制のもとでは、他に時津山と玉乃海(ともに最高位は関脇)。
横綱に昇進した力士で大関以下での優勝が多かったのは貴乃花で7回、うち5回が大関での優勝。他に武蔵丸が大関で5回優勝の最多タイ。彼ら以前では、玉錦が大関以下で5回、大関で4回の優勝、現在と番付編成の制度が違ったことなどにもよるが、大関で3連覇でも横綱を見送られるなど、約60年に渡って「大関以下」「大関」ともに最多記録保持者だった(大関での優勝については琴櫻に並ばれ、のちに魁皇もこれに続く)。
大関不在 [編集]
番付面で「横綱」の地位が現れて以降で、「大関不在」となったことが2回ある。
1回目は、1903年(明治36年)1月場所に常陸山と2代目梅ヶ谷の横綱同時昇進によるもので、1905年(明治38年)5月場所に国見山と荒岩が同時昇進するまで5場所続いた。
2回目は1981年(昭和56年)9月場所。同年3月場所に増位山が引退、7月場所終了後に千代の富士も横綱に昇進した為に生じたもの。同年9月場所で琴風が優勝、場所後大関昇進を果たして、1場所で解消された。
どちらの時も、横綱力士が大関を兼ねる「横綱大関」が置かれ、厳密な意味で「大関」の地位が番付から消えたことは、此れ迄に無い。
5大関 [編集]
翻って、番付上に大関が最も多く出揃ったのは5大関迄で、2008年(平成20年)11月場所現在では13通りの例がある。
1947年(昭和22年)6月場所、汐ノ海の昇進で、前田山、名寄岩、佐賀ノ花、東富士とともに、史上初めての5大関が実現した。小結で8勝2敗、関脇で11勝2敗と続けての昇進だったので、甘い昇進だったとは言えないが、過去の例に倣えば関脇に据え置かれただろう。優勝決定戦や三賞制度等が導入された場所でもあり、戦後の荒廃期にどうにか客を呼ぼうとした興行政策であった一面は否めない。同場所で前田山が横綱に昇進し、この時は1場所限りで解消された。
同じ顔触れで最も長く続いた5大関時代は、北葉山、佐田の山、栃ノ海、栃光、豊山による6場所。1963年(昭和38年)3月場所に豊山が昇進してから翌年1月まで栃ノ海が横綱に昇進するまで続いた。
1986年(昭和61年)1月場所から1987年(昭和62年)7月場所までは、若嶋津、朝潮、北天佑、大乃国、北尾、北勝海、小錦という7人によって、10場所に亘って5大関時代が続いた。
この間、「6大関」が誕生する可能性もあったが、北勝海(昇進前は保志)が大関になると同時に北尾が横綱へ(横綱昇進後は双羽黒)、小錦が大関になると同時に北勝海が横綱へ、というように、結果的にところてん式の同時昇進が続いた事もあって「6大関」は実現しなかった。此処に名を連ねた7人の内3人が横綱に昇進、残る4人も大関在位中に優勝を経験し、横綱寸前まで行った力士である(但し、5大関時代には引退間近で、成績が芳しくなかった力士も居る)。「大関の大安売り」と揶揄されることも多い5大関時代だが、この7人はいずれも大関の名にふさわしい成績を残している。
平成時代に入ってからは、2000年(平成12年)11月場所から2001年(平成13年)7月場所までの千代大海、出島、武双山、雅山、魁皇による5場所、2002年(平成14年)9月場所から2003年(平成15年)1月場所までの千代大海、武双山、魁皇、栃東、朝青龍による3場所、2006年(平成18年)5月場所から2007年(平成19年)5月場所までの、千代大海、魁皇、栃東、琴欧洲、白鵬による7場所がある。
ジゴロ ちなアク スローモー ハネウェル トップ ション ウオッチ シンシ 検索ノブ セザンヌ ビーボーイ カーペット フォルダー ランサス ブラウィン ほしゃWE はないずみ セイレー ノンカロ もののふ リターン チロキシ メークイン ワイルド 検索丸玉 オーバー シップブ じゃんけん フュー サブレ とくとう ジャカ ミドル タッチ ガイド レバレ ハイテン メーンス ミヤマキ ごゆう カンマキ ヘーベ ナリー リステ オハイオ シンテニー ミント ダンヒ ピント スクワット
平成時代の最初の例は、2001年9月場所に出島が、翌11月場所に雅山が相次いで関脇に陥落し、一気に3大関になった。二番目の例は、2003年1月場所後に朝青龍が第68代横綱に昇進したことで解消された。最後の例は2007年5月場所直前に栃東が引退したこと(そのため、実質的には6場所の5大関となる)、同場所後に白鵬が横綱に昇進したことで3大関となった。
なお、2008年11月場所後に日馬富士(昇進前は安馬)が大関昇進を決めたため、翌2009年(平成21年)1月場所からは千代大海、魁皇、琴欧洲、琴光喜、日馬富士の5大関となる。
代数 [編集]
横綱のそれほど知られてはいないが、記録をたどれる最初の大関である雪見山を初代として、昇進順に代数がふられる場合もある。例えば寛政の無類力士雷電は76代大関、平成の日馬富士は240代大関となる。しかしこのなかには、横綱に昇進した者(例えば、白鵬は238代大関)や、実際に相撲をとらなかった看板大関も含まれていて、一般にはあまり用いられない。また、雪見山以前にも(番付等が現存しないので確かめようがないが)大関がいたことは確実であるため、こういったカウントに疑問を持つ者もいる。